丹波ほっこり農園Blog

三和ぶどう、野菜、養蜂、加工食品

六感で味わう季節


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栗の花が咲き出しました。

季節は夏に突入一歩前です。

しかし、夏本番までには一ヶ月の梅雨を経ねばなりません。

この梅雨も農業には大切な季節です。

農村のこの季節を六感で表現しますと、

眼には夏草の緑色、

耳には早朝の小鳥の聲、

舌には山椒のピリピリ、

肌にはカラッとした涼風、

心には今年もあと一ヶ月で半年が早くも経過したという実感、

そして、鼻には何と言っても栗の花の匂い。この季節から村中に漂い始めます。

強烈な匂いは、確実に生命を後世に伝える雄蕊の意思を感じとれます。

  栗の花  精根尽きて 床に着く(呆悦)

親鸞聖人の気持ち


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久しぶりに都に来て、時間が有ったので京都駅から京都御所近くまで歩きました。

途中に東本願寺の塀に親鸞聖人御遠忌750年の法要の時に掲げられたテーマ「今、いのちがあなたを生きている」の標語を見ることができました。

何年もこの標語の意味が分からず、悩み続けた日々が懐かしかったことを思いだします。

三年前にやっとある程度、意味が分かった時に胸のつかえが取れました。

それは中国語の併記によって分かったのです。

「現在、生命伴随着ニィー」と中国語で書かれていたからです。

「今、あなたの身体のなかを脈々といのちが息づいています。

祖先から受け継いだ、かけがいのないこのいのちを大切に後世に伝えていく使命をあなたは負っているのですよ。

生けとし生けているすべての命を大切に。」と解釈したのでした。

田舎で農業に従事していて、都会にたまに出ていくと、付加価値を高めてカネを落として貰おうと必至にディスプレイを凝らすまちがあります。

そんなまちの雑踏の中で、この親鸞が説いた気持ちが清々しく思えます。

   茜雲 明日も晴れるか 梅雨間近(呆悦)

 

「木強」の気質


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先日、ある早朝の講演会で福知山にある大学の学長からお話しを聞きました。

この丹波地域の人びとの気質を江戸時代の書物で紹介され、その中で「木強(ぼっきょう)」の精神が失われていると。

「木強」とは飾り気がなく一徹な様で、武骨という意味です。

丹波地域は都に近く都への農作物の商いで糧を得て、都の華やかな風情に触れる機会が多く浮かれ、田舎らしさがなくなり木強でないという。

これが今の気質にもあるのか。

学長先生はもともと福知山の出身ということもあり、このことを否定せず、心を開いて率直に話しあえる風土であってほしいと。

先生の本心は、今までの福知山ではダメで市民ひとりひとりの変革への目覚めが必要だと辻説法の如く言いたかったのかもしれないと感じました。

福知山には去年、新しい公立大学ができましたが、福知山市の財政規模からいって、身の丈にあっているかどうかは甚だ疑問です。

しかし、できた以上はいかに市民が大学を使うかが重要で、率直な市民と大学との意見交換と「刺激合い」が必要ですが、、、。

  あぜ道の  たばこ吸う背に  てんとう虫(呆悦) 

 

国道の草刈り


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先日、国道9号沿いの丹波大豆の畑の草刈りをしました。

畑に続く国道沿いの法面の草刈りは国が行うべきなのですが、草が急激に伸びるこの時期には手が回らないのが実情と思います。

また、法面の下まで道路敷地内なのに国が刈るのは、道路通行帯の路肩の端から1メートル程度の下までです。

しかし、考えてみると国道の草刈りの経費は税金で賄われていますので、ふさわしい時期にすべての国道の草刈りは事実上、困難なことは理解できます。

そこで、先日は、畑が国道に接する部分の法面と道路路肩のアスファルトから生え出した草 を車に注意を払いながら当方で刈りました。

国道を走る時、草が路肩に生えていると見通しが悪いことがありますから、適宜な時期に草刈りは重要なのです。

丹波ほっこり農園があります地域では毎年、5月末と9月末の日曜日に村一斉の草刈り等、昔でいうところの「道普請」を行います。

その際に市道、里道は対象にしますが、国道や府道は草刈りをしません。

ここで提案。この一斉草刈りの時に国道や府道の歩道や法面を住民の手でやっては如何なものかと思います。

もちろん、交通規制等の安全対策を講じたうえでの話しです。

国が業者に委託や請け負いで行うより、時機を得ていますし、いつも使う道路を美しく安全な状態に住民の手で行う方が愛着が湧きます。

もちろん、道路管理者が業者委託等に支払う経費より若干安めに経費を地元自治会に支払うことにすれば、自治会も潤います。

国道9号を走るが、あの地域の区間はいつも草刈りができていて美しく、走り易いとドライバーからも評判になるでしょう。

一種の特区として試行してみたらどうでしょう。

これからの増え続ける道路をはじめとする公共施設の維持管理経費をどうしていくか国も自治体も早く考えていかないと大変なことになると思いながら草刈りをしました。

   ケイタイに 遠雷混じる 友の声(呆悦)

流域に思い巡らす



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丹波ほっこり農園のあります流域は由良川水系の土師川の上流部にあたります。

分水嶺としてはかなり低い丹波高原を源流とするため、もともと水量が多いほうではないのです。

今日、ゆっくりと土師川を観察してみると、ここ数日間の日照りのと稲作の育成期の影響で水量が少ないのに気がつきました。

農業には水は不可欠でとても重要で、川はなくてはならないものです。

(このブログを更新中に久しぶりのにわか雨が降ってきたようです。)

川を見るたびに、「水は上流から下流に流れる。」という当たり前のことを前提に、

上流の村々の暮らしを想い、

上流からの水の恵みに感謝し、

下流の村やまちの生活に思いを巡らし、

下流への清流を届ける思いやりの

精神の重要性を感じます。

このような精神は、あらゆる分野や場面でも共通するもので、この精神が欠けた時に悲惨な事件が起きたり、憎悪の関係が生まれます。

昔は流域内で舟運もあり、話す方言や生活様式も共通するなど川とその流域で面的な「流域交流文化圏」がありました。

しかし、今は道路や鉄路が開通すれば、異質な文化が急激に入り込んでいく点と線で繋ぐ関係になりました。

そんなことから上流下流関係の精神は薄らぎつつあります。

道路や鉄路が開通すれば便利になると喜ぶ一方、淋しさも覚えます。

    白鷺の  膝下低く  川流る(呆悦)

片田舎にもグローバル化の歴史


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仕事の途中で「フナメ」を見つけました。

桑の木の実(マルベリー)です。丹波ほっこり農園の付近には随所に桑の木が生えています。

昭和30年代の中頃までは畑は桑の木ばかりでした。桑の木が多いのは、それの遺産なのでしょう。

桑の木の葉は「蚕さん」(この地域では尊敬の意を込めて皆そう呼んでいました。)の食料です。

その果実「フナメ」は、子供のおやつでした。余談になりますが、熟したフナメは濃い紫色で熟女の乳首によく似ています。

蚕さんが口から吹き出す繭から生糸を生産していたのです。いわゆる養蚕です。

由良川水系の農村には桑畑が拡がりました。水害に強く農家の茅葺きの家の中で蚕さんを飼うことができたからです。

蚕さんを飼うときは畳を上げて、蚕棚を作り子育てのように大切に育てたものでした。

綾部に「郡是」が誕生したのは、この地域資源があったからです。

しかし、新しい繊維が外国から入るようになり、次は葉タバコを生産します。

私がたばこ好きになったのは少年時代に葉タバコに馴染んでいたからでしょう。(私は二十歳までは吸ってはいません。)

しかし、これも昭和40年代後半には諸外国から安価な葉タバコが入るようになり、現在の葡萄に転換します。

こんな片田舎にもグローバル化の波に翻弄された歴史があるのです。

それから40年この地域は細々と葡萄の栽培を続けてきました。

これからはグローバル化に打ち勝つ葡萄づくりが必要です。

先輩農家が育てこられた葡萄を後世に引き繋いで、さらにおいしいといわれる地域ブランドに育てていかねばと「フナメ」を久しぶりに食べあらためて思ったものです。

   桑の実や ブラウス白し 谷深し(呆悦)