丹波ほっこり農園Blog

三和ぶどう、野菜、養蜂、加工食品

家(いえ)というもの~分蜂~


f:id:tanba-hokkori-noen:20180404183157j:image

丹波ほっこり農園ではニホンミツバチを飼育し、彼らの貴重な食糧の蜂蜜をお裾分け頂き販売をしています。(販売時期は後刻)

今年もサクラの開花に併せてニホンミツバチの分蜂の季節を迎えました。

分蜂(封)とは「巣分かれ」ともいわれ、巣内で女王蜂が誕生すると母親の女王蜂は働き蜂の半数を連れて今まで住んでいた巣箱を捨てて新しい住み処(か)に移動します。

これが分蜂です。

蜂を捕獲するのには、この分蜂で巣分かれする彼らを誘導する巣箱を設置し、その一群を巣箱に誘導するのです。

写真は分蜂前に働き蜂が偵察している様子です。

今年はなんとか二年ぶりに捕獲できそうです。

さて、人間社会は今では核家族化してきましたが、以前はお嫁さんが嫁いできたら、親は母家から離(はなれ)に引っ越して、母家を息子夫婦に明け渡すものでした。

天皇家も今回の退位で東宮御所にお引っ越しされ、皇居に新しい天皇が移られる予定です。

嫁と姑とは世の常として、なかなか上手くいかないものですが、蜂の世界も二人の女王蜂は共存できないのです。

丹波ほっこり農園では「社会性昆虫」といわれるミツバチの観察から人間関係の在りかたやヒトと自然との関係も考えながら「農」を創造してます。

社会性昆虫のニホンミツバチの生態については今後、折に触れてこのブログで紹介していきたいと思います。

   頭越し 羽音行き交い 春盛り(呆悦)

水に流す季節か?


f:id:tanba-hokkori-noen:20180403181239j:image

今年も相変わらず庭のサクラが咲きました。

冬から春を通り越し夏模様の季節になりました。

冬のあの寒さにひたすら耐えて、やっと春のうららかな日差しを期待していたのに。

この一週間、半そで一枚で汗びっしょりの夏日の暑さです。

気が狂わんばかりのサクラの美しい姿を見てみんなで飲む花見。

寒さに耐えてきた冬を忘却し、複雑に絡まった人間関係を一端、水に流してそれぞれ次の人生のスタートを切るのに花見は実に適時なイベントです。

このことには触れないでほしいと耐えに耐えて長い冬を越し、華やかな外交や有無を言わせぬ皇室関係で庶民の目先を変えて行こうと必死のお上の姿。

そんなサクラは見たくありません。

また、村の区民総会も新年度の予算案が承認され先月末に終了しました。

総会で出された声なき声の意見を聞き流し、一年の時間が流れて来年咲くサクラを見るのははかない限りです。

    花筏  時計の針は 四時過ぎる(呆悦)

 

ぬるぬるの世界


f:id:tanba-hokkori-noen:20180305001850j:image
米を食べる量が毎年、減少しており、現在では成人は一年間に自分の体重程度しか食べないようになりました。

したがって、一家3~4人家族なら水田は1反(10a)程度を耕作するだけで足りるのです。

また、米の需要が少なくなってきて作っても安値でしか売れないようになりました。

国は昭和の時代までは米の増産に向けて構造改善事業(耕地整理)を推し進めてきました。「田圃は四角。心は丸く。」と言われたとおり、山間地の田圃まで事業を入れ、田圃を四角にし、給水、排水の施設改善も行いました。

平野部の水田ならその当時は農家の採算は取れたでしょうが、山間地の水田は確かに四角になりましたが、「心は丸く」平穏に保たれたのでしょうか。

米政策の変更も加わり、山間地の農家は負担に見合う収入が果たして確保されたか甚だ疑問です。

耕地整理された水田は収穫量も上がり、トラックターなどの機械が入れるなどのメリットもあります。

一方、耕地整理をしなかった田圃は田螺やドジョウなどが棲む生物多様性があり、それらの生き物が互いに作用しあい、山間地の冷たい水で美味しいお米が穫れました。

その泥の深い田圃に裸足で入ると「ぬるぬる」の状態で足の指の間に泥が入ってくる瞬間は「もうどうにでもしてちょうだい。」といった感じで、緊張した精神を解放してくれる作用がありました。

今でいう泥エステのような癒し感覚です。

これも幼少期の小さな思い出が私を少し助兵衛にしたのでしょうか。

  二三匹 アメンボ滑り 水ぬるむ(呆悦)

近視眼的な発想こそ無責任?


f:id:tanba-hokkori-noen:20180301235104j:image

近視眼的に物事を考えるのが「真面目」と評価され、居心地が良い。

これが過疎地の農村の実態だなぁと感じる日になりました。

村の首脳達は、「過疎が進み、若者が少なくなり、農地の維持管理がだんだん難しくなり、ましてや村の特産品を創るなどの活性化のための方策など考える余地がないし、どうなるか分からない将来のために、私の役員時代にリーダーシップをとることはできない。」とぼやきます。

その一方で、どう考えても五年後には管理が難しくなるであろう不良農地の管理には執拗にこだわり、対処療法を真剣に考えます。

この近視眼的な発想が「真面目」と評価されます。

私には、「不真面目」としか写りません。

これが閉鎖的な農村の実態で、しがらみの中でプライドを持って長らく暮らしてきた人々の頭の構造になっています。

この村の生まれの私には、その気持ちは分からないでもないが、この際、プライドも評価もかなぐり捨てて、長いスパンでビジョンを示し議論していくのがリーダーの役割だと思います。

そんな姿勢こそが「真面目」と評価されるべきと思います。

そのビジョンは、見通しを誤り失敗するケースもあるでしょう。

しかし、ビジョンを示し、みんなで議論し判断したビジョンを真剣に実行しようとする姿勢を「不真面目」と批判する人は少ないでしょう。

春一番が吹いた今日、草叢から辺りの様子を窺うように頭を出した「ふきのとう」を味噌炒めにして食べました。

「程よい苦味」と味噌の「甘辛味」が口の中で拡がり調和し、ご飯が進みましたが村の活性化の寄合いでは、きつい苦味だけが残り、消化不良になりました。

     この珍味 伝え難しぞ ふきのとう(呆悦)

 

 

イドコの中の一日。


f:id:tanba-hokkori-noen:20180228225845j:image

竹だけで編んだ農作業用の籠をこの地方では「イドコ」と呼んでいます。

私の幼少の時には天秤棒で2つを前後に吊り下げ農作物や肥料などを運んでいました。

保育所もない時代で、母親に連れられて田圃に行き母親が仕事をする間、このイドコの中に入れられ、ずっと仕事の終わるのを待っていました。

たぶん3歳ぐらいの時だと想像しています。

狭いイドコの中に何時間も入れられいると動いて外に出ようとします。

ある日、棚田の畦道に置かれた私は動いてしまいイドコとともに10メートルぐらい棚田の道を転げて、大きな岩にせき止められ停止。大きなけがはしなかったものの、途中で頭や顔を打ち付けていました。

そのせいで頭と顔がおかしくなってしまいました。

そんな61年前のことを思い出す「イドコ」です。

先日、畑の近くの篤農家のおじさんが「このイドコを使わないか?」と言われ、是非にと頂いたものです。

こんな時代を感じる代物を今まで残していた篤農家の篤農家と呼ばれる由縁を再認識するとともに、3歳のつらいことを思い起こした「イドコ」の話しです。

  一足前に 春告げる メジロ翔ぶ(呆悦)

 

 

人間が柵に囲まれて


f:id:tanba-hokkori-noen:20180221233953j:image

丹波ほっこり農園の農地は山間にあるため、野生鳥獣が里にしょっちゅう出没してきます。

彼らの農地への侵入を防ぐため、鹿・イノシシ柵を村中に張り巡らします。

その様は異様な風景を生み出します。

農地で泥まみれで作業する農民の姿は、逆に人間が柵に収監された浮浪者のようにも見えます。

作物を守るためには致し方ないのですが、日本の原風景には程遠くなってしまいました。

  春一番  白き手ぬぐい 飛ばされし(呆悦)

欅坂365の春光

 
f:id:tanba-hokkori-noen:20180214213535j:image

早朝の冷え込みは相変わらずです。

しかし、朝の光が差す時間には真っ青な空に欅の枝が天に伸びる様は美しい。

春はうす緑の若葉。夏は木蔭の深い緑葉。秋は黄赤の紅葉。

葡萄園の脇に季節ごとに表情を変えて聳える欅の息づく坂を私は「欅坂365」と呼んでいます。

    春を待つ けやきの上に 空高し(呆悦)