丹波ほっこり農園

三和ぶどう、野菜、養蜂、加工食品

幸せな人生~雄蜂の一生~


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女性の社会進出が目覚ましくなってきました。

平昌オリンピックでもスケートをはじめ多くのメダリストを生みました。また、水泳界でも女性の活躍が素晴らしい。

しかし、大相撲舞鶴場所では「女性は土俵から降りてください。」と危機的状況を顧みないアナウンスがあり、大きな話題となりました。

このようなしきたりは、大相撲だけではありません。

子供の頃「魚釣りの竿を女性が跨ぐと魚が釣れないから跨ぐな。」とか。

丹波ほっこり農園のある福知山市三和町の大原地域では、産気付いた産婦がその田圃の端にある藁葺き屋根の小さな「産屋」に行き、出産するしきたりがありました。(産屋は今も現存します。)

これらはみな女性への穢れの意識が根付いていたのでしょう。

男性が大好きな女性のなのに男性が中心の社会で培われた発想でした。

しかし、男性がなぜ穢らわしいと感じていたのでしょうか。

この理由はまたの機会に考えましょう。

さて、話が少し助平っぽくなりましたのでミツバチのこの世界を紹介しましょう。

前回紹介しましたとおり働き蜂は全て雌蜂です。

では、巣箱の2万匹(最盛期)の約2割(最多で)の雄蜂は何をするの?

交尾のみで禄食みな存在なのです。

無風の良い天気の日に女王蜂が巣箱から上空20㍍に飛び出します。

すると巣箱でものぐさにしていた雄蜂が次から次と追いかけます。

そして雄蜂が女王蜂に我先にと近づき交尾をします。

そして、雄蜂達はたった一回の交尾で落下し死んでいきます。

なんと儚い人生(蜂生)なのでしょうか。

いや、なんて幸せな蜂生なのでしょうか。

今後、私たちもこんな交尾を体験する最期の機会はあるのでしょうか。

   雄叫びの 羽根音凄し 花盛り(呆悦)

 

 

 

分業制~ミツバチの仕事~


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エンジェルスの大谷が投打に二刀流で驚異的な活躍をしています。

プロ野球では投打の分業が当り前の世界なのに、これに反する二刀流に挑戦し奢ることなくスマートに実践していることに感心します。

人間社会の仕事は今や分業制で成り立っています。

家の普請も医者も分業制です。

総合的に最初から最後まで仕上げる大工さんや何でも診る町医者はなくなってしまいました。

そういう意味で大谷選手の投打ともに取り組む姿が本来の野球なのでしょうか。

ところで、ミツバチの世界では「日替分業制」が徹底しています。

ミツバチの働き蜂の寿命は約30日といわれています。

その間、最初の10日は門番、掃除係、その後の10日間は巣の造営係、最後の10日間は蜜集めにそれぞれ専念します。

これを「日替分業」とよばれています。

中小企業の従業員の仕事が変化していくのとよく似ている感じがします。

大谷選手の投打のローテーションもこの「日替分業」を実践しているのかも知れません。

なお、働き者の働き蜂は全て雌蜂です。

では雄蜂はどんなお仕事をしているのかは次回にお話しましょう。

   三寒と 四温に嘆く サクラ花(呆悦)  

 

匂いフェロモンの効果~キンリョウヘン

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ニホンミツバチの話第2話です。

待ち受け巣箱は、丹波ほっこり農園製作のハイブリッド巣箱です。

銀杏や栗木の切り株をくりぬき空洞にして、その上に分厚い板で作った四角の箱を取り付けたものです。

切り株の自然さと蜜が採集しやすい機能的な箱の二面性という意味でハイブリッドなのです。

切り株はニホンミツバチが好む環境なのです。

その性質から切り株を用いるのです。

さて、その待ち受け巣箱の上部に取り付けているのが、「待ち受け巣箱ルアー」です。

このルアーにはキンリョウヘン(金稜辺)の匂いエキスの化学成分を凝縮したものです。

蘭の一種であるキンリョウヘンの匂いはニホンミツバチが好んで寄り付くのです。

本来ならキンリョウヘンの鉢植そのものを巣箱の近くに置けばいいのですが、蜂の分蜂の時期とキンリョウヘンの開花時期を合わせるのが大変なのでルアーを用います。

少し自然の節理に反していますが、他の農作業が忙しい時期に蘭の栽培までもできないための措置です。

どころで、匂いフェロモンは人間も惹き付けられるものです。

異性の脇などから漂う匂いに少し性的興奮を抱く方もいるでしょう。

人間の脇などには頭髪とは異なる扁平な体毛が生えていますが、これは匂いを保持し異性を惹き付けるために生えているのです。

これをわざわざ剃って匂いを消すために匂い消し化粧品を使うことは、モテ要素を自ら放棄しているのではないでしょか。

人間も自然の節理にもういちど立ち返る時期に来ていると思うのですが、如何でしょう。

   芳しき キンリョウヘンの 魅惑かな(呆悦)

家(いえ)というもの~分蜂~


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丹波ほっこり農園ではニホンミツバチを飼育し、彼らの貴重な食糧の蜂蜜をお裾分け頂き販売をしています。(販売時期は後刻)

今年もサクラの開花に併せてニホンミツバチの分蜂の季節を迎えました。

分蜂(封)とは「巣分かれ」ともいわれ、巣内で女王蜂が誕生すると母親の女王蜂は働き蜂の半数を連れて今まで住んでいた巣箱を捨てて新しい住み処(か)に移動します。

これが分蜂です。

蜂を捕獲するのには、この分蜂で巣分かれする彼らを誘導する巣箱を設置し、その一群を巣箱に誘導するのです。

写真は分蜂前に働き蜂が偵察している様子です。

今年はなんとか二年ぶりに捕獲できそうです。

さて、人間社会は今では核家族化してきましたが、以前はお嫁さんが嫁いできたら、親は母家から離(はなれ)に引っ越して、母家を息子夫婦に明け渡すものでした。

天皇家も今回の退位で東宮御所にお引っ越しされ、皇居に新しい天皇が移られる予定です。

嫁と姑とは世の常として、なかなか上手くいかないものですが、蜂の世界も二人の女王蜂は共存できないのです。

丹波ほっこり農園では「社会性昆虫」といわれるミツバチの観察から人間関係の在りかたやヒトと自然との関係も考えながら「農」を創造してます。

社会性昆虫のニホンミツバチの生態については今後、折に触れてこのブログで紹介していきたいと思います。

   頭越し 羽音行き交い 春盛り(呆悦)

水に流す季節か?


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今年も相変わらず庭のサクラが咲きました。

冬から春を通り越し夏模様の季節になりました。

冬のあの寒さにひたすら耐えて、やっと春のうららかな日差しを期待していたのに。

この一週間、半そで一枚で汗びっしょりの夏日の暑さです。

気が狂わんばかりのサクラの美しい姿を見てみんなで飲む花見。

寒さに耐えてきた冬を忘却し、複雑に絡まった人間関係を一端、水に流してそれぞれ次の人生のスタートを切るのに花見は実に適時なイベントです。

このことには触れないでほしいと耐えに耐えて長い冬を越し、華やかな外交や有無を言わせぬ皇室関係で庶民の目先を変えて行こうと必死のお上の姿。

そんなサクラは見たくありません。

また、村の区民総会も新年度の予算案が承認され先月末に終了しました。

総会で出された声なき声の意見を聞き流し、一年の時間が流れて来年咲くサクラを見るのははかない限りです。

    花筏  時計の針は 四時過ぎる(呆悦)

 

ぬるぬるの世界


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米を食べる量が毎年、減少しており、現在では成人は一年間に自分の体重程度しか食べないようになりました。

したがって、一家3~4人家族なら水田は1反(10a)程度を耕作するだけで足りるのです。

また、米の需要が少なくなってきて作っても安値でしか売れないようになりました。

国は昭和の時代までは米の増産に向けて構造改善事業(耕地整理)を推し進めてきました。「田圃は四角。心は丸く。」と言われたとおり、山間地の田圃まで事業を入れ、田圃を四角にし、給水、排水の施設改善も行いました。

平野部の水田ならその当時は農家の採算は取れたでしょうが、山間地の水田は確かに四角になりましたが、「心は丸く」平穏に保たれたのでしょうか。

米政策の変更も加わり、山間地の農家は負担に見合う収入が果たして確保されたか甚だ疑問です。

耕地整理された水田は収穫量も上がり、トラックターなどの機械が入れるなどのメリットもあります。

一方、耕地整理をしなかった田圃は田螺やドジョウなどが棲む生物多様性があり、それらの生き物が互いに作用しあい、山間地の冷たい水で美味しいお米が穫れました。

その泥の深い田圃に裸足で入ると「ぬるぬる」の状態で足の指の間に泥が入ってくる瞬間は「もうどうにでもしてちょうだい。」といった感じで、緊張した精神を解放してくれる作用がありました。

今でいう泥エステのような癒し感覚です。

これも幼少期の小さな思い出が私を少し助兵衛にしたのでしょうか。

  二三匹 アメンボ滑り 水ぬるむ(呆悦)

近視眼的な発想こそ無責任?


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近視眼的に物事を考えるのが「真面目」と評価され、居心地が良い。

これが過疎地の農村の実態だなぁと感じる日になりました。

村の首脳達は、「過疎が進み、若者が少なくなり、農地の維持管理がだんだん難しくなり、ましてや村の特産品を創るなどの活性化のための方策など考える余地がないし、どうなるか分からない将来のために、私の役員時代にリーダーシップをとることはできない。」とぼやきます。

その一方で、どう考えても五年後には管理が難しくなるであろう不良農地の管理には執拗にこだわり、対処療法を真剣に考えます。

この近視眼的な発想が「真面目」と評価されます。

私には、「不真面目」としか写りません。

これが閉鎖的な農村の実態で、しがらみの中でプライドを持って長らく暮らしてきた人々の頭の構造になっています。

この村の生まれの私には、その気持ちは分からないでもないが、この際、プライドも評価もかなぐり捨てて、長いスパンでビジョンを示し議論していくのがリーダーの役割だと思います。

そんな姿勢こそが「真面目」と評価されるべきと思います。

そのビジョンは、見通しを誤り失敗するケースもあるでしょう。

しかし、ビジョンを示し、みんなで議論し判断したビジョンを真剣に実行しようとする姿勢を「不真面目」と批判する人は少ないでしょう。

春一番が吹いた今日、草叢から辺りの様子を窺うように頭を出した「ふきのとう」を味噌炒めにして食べました。

「程よい苦味」と味噌の「甘辛味」が口の中で拡がり調和し、ご飯が進みましたが村の活性化の寄合いでは、きつい苦味だけが残り、消化不良になりました。

     この珍味 伝え難しぞ ふきのとう(呆悦)