イドコの中の一日。
竹だけで編んだ農作業用の籠をこの地方では「イドコ」と呼んでいます。
私の幼少の時には天秤棒で2つを前後に吊り下げ農作物や肥料などを運んでいました。
保育所もない時代で、母親に連れられて田圃に行き母親が仕事をする間、このイドコの中に入れられ、ずっと仕事の終わるのを待っていました。
たぶん3歳ぐらいの時だと想像しています。
狭いイドコの中に何時間も入れられいると動いて外に出ようとします。
ある日、棚田の畦道に置かれた私は動いてしまいイドコとともに10メートルぐらい棚田の道を転げて、大きな岩にせき止められ停止。大きなけがはしなかったものの、途中で頭や顔を打ち付けていました。
そのせいで頭と顔がおかしくなってしまいました。
そんな61年前のことを思い出す「イドコ」です。
先日、畑の近くの篤農家のおじさんが「このイドコを使わないか?」と言われ、是非にと頂いたものです。
こんな時代を感じる代物を今まで残していた篤農家の篤農家と呼ばれる由縁を再認識するとともに、3歳のつらいことを思い起こした「イドコ」の話しです。
一足前に 春告げる メジロ翔ぶ(呆悦)
欅坂365の春光
早朝の冷え込みは相変わらずです。
しかし、朝の光が差す時間には真っ青な空に欅の枝が天に伸びる様は美しい。
春はうす緑の若葉。夏は木蔭の深い緑葉。秋は黄赤の紅葉。
葡萄園の脇に季節ごとに表情を変えて聳える欅の息づく坂を私は「欅坂365」と呼んでいます。
春を待つ けやきの上に 空高し(呆悦)
極寒の美
軒下に雨水を垂らす鎖を伝い雪融け水が流れ落ちますが、早朝の冷え込みでその水が鎖に凍り付いています。
宝石のネックレスのような極寒の芸術作品です。
来週までの寒さの先には春の萌しになることを期待して今日も仕事に刻苦精励します。
残雪に 陽光受けて 眩しけり(呆悦)
お祈りと微笑みの国
週初めにタイ・バンコクに会社の社員研修旅行に出かけてきました。
真冬の東南アジアへの旅行とあって服装に苦労します。日本との温度差は30℃以上もあります。
東南アジアは始めての旅行なので、私の知識はニュースでの見聞のみでしたので、その発展は想像がつきませんでした。
実際に見た戦後70年を経た、その発展は目を見張るものがありました。
社会資本の道路、鉄道なども充実しており、生活水準も向上しているように見えます。
しかし、昔から変わっていないと思われるのは、仏教を中心とした宗教心の深さと「微笑みの国」といわれるように笑顔を絶やさない対応です。
市民のお布施で維持される寺院の数に驚かされますし、新しい寺院も新設されているようです。
バンコクの街中は今や車とバイクが多く、ラッシュ時には渋滞が発生しています。
こんなとき中国のようにクラクションを鳴らしたり、怒鳴りあうようなアクシデントは滞在期間中、見ることはありませんでした。
車はトヨタ車をはじめとする日本車が、バイクはホンダが殆どで、コンビニはセブンイレブンとファミリーマートと日本の文化が浸透していてタイ独自さが薄れ、日本人の観光客にとっては面白さ欠けます。
街は日本を真似るように近代化されていますけが、街に暮らす人達は宗教心と微笑みを忘れない平穏な暮らしを続けていることにひと安心。
旅行客の私たちもその対応に穏やかな心が拡がり、自然とまた行きたい国・タイになるのかも知れません。
ただ、街中には日本より更に貧富の差が拡大している様子を垣間見られるスラム街もあります。
次回、行く時にはタイ独自の文化が残るであろう田舎の地方に足を伸ばしたいと思っています。
コップッ・カップ・タイ!
111111の意味するもの
うっすらと雪景色の今日の朝、いつもの通り軽トラに乗り込みました。
何とはなしにハンドルの下の走行距離メータを覗きこむと、なんと「111111」と表示されているではないか。
今日はいいことがあるかも知れないとひとりで薄ら笑い。
しかし、一日を終えても特別にいいこともなければ、変わったことや悪いこともありません。
この軽トラに乗るようになったのは3年近く前のことです。
その時のメータの数字は6万キロ近くの数字であったと記憶しています。
その時から今日まで5万キロ超を走ったことになります。
この間、事故もなく健康で元気に軽トラに乗り込み、仕事ができたことにただただ感謝します。
今日の6桁のゾロ目はラッキーなことの知らせではなく、この間の無事故を祝ってくれ、「1」から始まる新たな「普段の暮らし」のスタートを示してくれるサインだったのかも知れません。
湯けむりや 岩壁越しの 湯がけ音 (呆悦)