「木強」の気質
先日、ある早朝の講演会で福知山にある大学の学長からお話しを聞きました。
この丹波地域の人びとの気質を江戸時代の書物で紹介され、その中で「木強(ぼっきょう)」の精神が失われていると。
「木強」とは飾り気がなく一徹な様で、武骨という意味です。
丹波地域は都に近く都への農作物の商いで糧を得て、都の華やかな風情に触れる機会が多く浮かれ、田舎らしさがなくなり木強でないという。
これが今の気質にもあるのか。
学長先生はもともと福知山の出身ということもあり、このことを否定せず、心を開いて率直に話しあえる風土であってほしいと。
先生の本心は、今までの福知山ではダメで市民ひとりひとりの変革への目覚めが必要だと辻説法の如く言いたかったのかもしれないと感じました。
福知山には去年、新しい公立大学ができましたが、福知山市の財政規模からいって、身の丈にあっているかどうかは甚だ疑問です。
しかし、できた以上はいかに市民が大学を使うかが重要で、率直な市民と大学との意見交換と「刺激合い」が必要ですが、、、。
あぜ道の たばこ吸う背に てんとう虫(呆悦)