人口8千万人時代の農地の維持
猫の額ほどの農地を減少し続ける村の人口で守るため、どうしたらいいのか。
今、丹波ほっこり農園が営む村の農事の組織体で熱い議論が始まった。
先祖代々から受け継いできた農地を老体にムチを打ちながらも守りたい気持ちは農村出身の私からすれば痛いほどわかる。
彼らには経済的思わくの観点は微塵もない。
ただただ、農地を現状通りに維持したいのみなのだ。
一方、国においては、優良農地を集約して、大規模に展開する担い手を育成し、国際競争力を着けさせ収益力のある農業を目指している。
口では、過疎化が進む集落や非効率な農地が多い山間部の農地め維持していくと言いつつも、二の次の問題と位置付けている。
まちづくりも同様で、過疎化が激しい山間部の集落は廃村にし、都市部に人口を集め、経費削減を図り、コンパクトシチーを作りたいと多くの自治体が考えているのが本音であろう。
美しい里山が広がり、清流が村を静かに流れる風景を守ってきたのは、山間部の住民である。
しかし、カネにならない農村には若者はいなく、農村を維持するマンパワーが絶対的に不足しているのが現状である。
こんな現状なら無理をして草刈や田んぼを守らなくともいいのではないかと都会育ちの人は思うかも知れないが、村人は単純には割りきれない。
その理由は昔からの「農民意識」が、そうさせるのである。
狩人は移動性の民族であり、一方、農民は定着性の民族であり、一旦、住み着き田畑を拓き始めると、その土地を離れようとはしない。
その結果、土地を守る意識が強くなり、近所に迷惑を掛けてはこの村で暮らして行けないと考える。
そのため、必死にカネにもならない米を作り、草刈をして土地を守り、美しい農村を維持しようとするのだ。
これが農村の美意識や保守意識にも繋がっている。
しかし、過疎高齢、人口減少時代、農村の意識の見直しが必要になっており、それで農事の組織体での原点に立ち返った議論が始まったということだ。
平安時代の日本の人口は800万人といわれていると記憶しているが、その当時の耕地面積はどれ程であったか想像してみると、今ある山間部の10アール程度の田んぼはたぶん皆無であった思う。
そうしたら、今後、日本の人口は8000万人時代を迎え、それに必要な耕地面積を確保し、あとは山に戻して里山の稜線を麓に戻していくという決断をしていかざるを得ないと考える。
猪も鹿も熊も、どうぞ麓のところまで来てもいいですよということになる。
また、行政の維持経費も削減できるであろう。
日本人口が最大値時代の1.2億人からあと50年後には、4分の3の8000万人になると予想されている。
その人口の食料を確保するためには、山間部の田んぼを山に戻しても仕方ないと肩肘を張らずに考え直す時期に来ていると思う。
村人に発想の転換ができるが鍵になる。
現に、真に喜んでその土地で生活し、耕作している暮らしをしている人の暮らしには留意が必要なことはいうまでもないが。
蝉時雨や 蝉時雨より 聞こえなし(呆悦)