丹波ほっこり農園

三和ぶどう、野菜、養蜂、加工食品

葡萄園に成ったスイカ🍉


f:id:tanba-hokkori-noen:20170821211457j:image

お盆を過ぎて朝夕は過ごし易くなってきましたが、日中はむしろ暑さが厳しくなった感もあります。

暑い日中の外仕事の後は、何と言ってもスイカが一番。

汗で排出した水分補給にはもってこいの食べ物です。

今日、ヴェトナムの実務研修生が「葡萄園にスイカがなっていますので採ってきます。」と言って走り出した。

葡萄園にスイカが成るとは不思議だなと思っていると、直ぐにスイカを採って来ました。「葡萄園のどこになっていたの?」と聞くと、「この先の葡萄園の柵の中です。」と、言います。

どうやら、葡萄園の近くのおじさんが葡萄園の隣の自己所有の畑で丹精込めて育ているスイカなのです。

毎日、おじさんはスイカの栽培に情熱を込めていますので、スイカのツルは勢いよく伸びています。

そのため、スイカのツルが勢い余って、畑から葡萄園に浸入し、葡萄園の柵の中に実を着けたモノなのです。

おじさんが丹精込めて栽培しているのに自分の畑には成らなくて、我々が管理している葡萄園の中に成るとは皮肉ですが。

法律的には、境界を越えて成った果実は、越えて浸入された側に処分権があるとされているものの、丹精込めて栽培されているおじさんの顔を思い浮かべると直ぐには我々だけでは食べられません。

おじさんはいつも、このブログを読まれいると聞いています。

「おじさん、会社の事務所にまだ食べずに冷蔵庫に入れて冷していますので、明日、食べに来てください。」と言わずにはおれない暑い夏の夜です。

 西陽差す  武者振り食らふ スイカかな(呆悦)

 

  

「一燈照隅 万燈照国」を思う。

f:id:tanba-hokkori-noen:20170816053704j:image

この前、あまりに暑いので、避暑がてらに休暇を利用して、比叡山にバイクで頂上まで登り、最澄が開いた延暦寺根本中堂にお参りしてきました。

開山から1200年も一度も絶やすことのなかった燭燈を拝んできました。


ドライブウェイのところどころには「一隅を照らす」の標識があります。

根本中堂の薄暗い一角を照らし続けた灯りのように一隅を照らし続ける努力により、遂には国全体を照らす力になるという意味でしょうか。

狭い地域で地道な小さな取り組みが、遂には評価されて各地で模範になり、全国的な取組に発展することは、よくあることです。

国家戦略特区の獣医学部新設で議論されている「今まで認められなかった固い岩盤にドリルで穴を開け、これが良ければ全国展開する。」というのとよく似ているようですね。

 兵庫県養父市の農業関係の特区は、評価は別としてあまりにも有名ですが、国家戦略特区の代表例です。

そもそも特区とは秀吉が行った「楽市楽座」の発想とは基本的には同じものだと思いますす。

一定の地域に限って特例で色々な規制を緩和したり免除したりして産業を伸ばしたり富を蓄積させたりすることです。

しかし、その対象地域はそもそもその特区事業がよく発達していることが前提とすべきでしょう。

今回の獣医学部の新設の件は、対象にした題材と対象地域を誤っているのではないでしょうか。

これまでも一生懸命、畜産振興に取り組み、全国的に見ても先駆的地域でさらに、この取り組みを伸ばすために、規制などを緩め、それが成功すれば後進的地域にも拡げることが本来の特区ではないでしょうか。

そもそも、お友達云々の前に、獣医師を増やす人材育成事業の規制緩和を国家戦略特区にしたことに戦略を誤ったと思います。

スピードで成果を焦るより、長年の地道な努力により成果をあげ、全国の隅々までいい取り組みとして拡げる「一燈照隅  万燈照国」の施策を、あまり期待せずに実現することを待っています。

 

 

神秘の色づき


f:id:tanba-hokkori-noen:20170814160235j:image

盆休みなのに葡萄の色づきが気になります、今月の25日頃には初出荷を迎えます。

一年間のお世話の成果が半月間に出ます。

袋かけした葡萄の房を袋を脱がして色具合いを確認していますが、今年の出来具合いは上々の様子。

あと10日位で気候との関係で糖度と色がのるかです。

こればかりはお天道様にお任せするしかありません。

盆空けから予約を開始します。

詳しくは丹波ほっこり農園のホームページで見てお申し込みください。

  神秘なり  釉裏紅した  葡萄かな (呆悦)

満身創痍の狛犬


f:id:tanba-hokkori-noen:20170814002959j:image
今日は村の夏祭り。農村のお盆の一大行事です。

神社の隣の広場にお祭り会場を村の世話役で設営します。

村の人口220人で、来場者は人口を上回る300人と想定して準備。

しかし、隣の鎮守の森の神社を守る狛犬は老朽化が激しく満身創痍の状態で夏祭りの催しを潰れた横目で見ています。

新しい狛犬の誕生を期待したいが、なかなか村の財政状況では更新できない様子。

しかし、狛犬に新たな息吹きを吹き込むための協力金として、例えば生ビール一杯300円のところ400円とかに100円上積みして売ると200杯の売上で2万円。その他の売り物を合わせると5万円程度は協力金収入が得られる勘定になります。

神社の狛犬の更新のために、わざわざ協力金を改めて募ると、村民の懐状態が決して豊かではない中でなかなか困難です。

夏祭りなどの行事を単なるイベントととしてやるのではなく、次の村の目標なりを掲げて実施するとそんな遠くない未来に楽しい夏祭りをしっかりと見守ってくれる新たな狛犬が誕生することも夢ではないのではないでしょうか。

 狛犬の  苔むし哀し  夏祭り(呆悦)

「玉の汗」と「解鬱豪雨」


f:id:tanba-hokkori-noen:20170810184202j:image

今日の午前中8時ごろに労働で腕に吹き出た「玉の汗」。

異常に湿度も高く、飲む麦茶が全て汗になりました。

サウナに入った時に出る汗と同じです。

盆休みに明日から入るので、今日中に片付けておきたいことがありましたが、気力が出ずに、午前中の労働で軽い熱中症と思われる症状になり、生あくびと意欲の減退。

空を見上げると今にでも雨が降りそうな気配。しかし、また青空に。その繰り返し。遂に、午前中は雨は降らずに過ぎます。

ところが、午後4時過ぎから遂に今まで溜め込んだ湿気をここぞとばかりに、ドラム缶をひっくり返したような雨がきました。

この間、全国各地に災害をもたらした豪雨。近年、ゲリラ性が益々過激になり、これからの豪雨対策は不安が募ります。

私はこのような豪雨を「解鬱豪雨(かいうつごうう)」と呼びたいと思います。鬱を解き放つ豪雨ということです。

というと何となく、じめじめとしていて

しとしとと降るようなイメージをお持ちだと思います。

しかし、「鬱」の本来の意味はエネルギーが充満し、今にも爆発したいともがいている状態をいいます。

今日の雨は、まさに水蒸気のエネルギーが充満し爆発した降り方でした。

人もエネルーを溜め込みすぎないようにしないと鬱状態になります。

地球もCO2を排出し過ぎて大気圏に溜まり過ぎて大気が昔のような状態でなくなったのが原因なのでしょう。

何でも溜め込みすぎないようにしないと災いが起きます。

くれぐれも「解鬱豪雨」には細心のご注意を。

玉の汗  写る球面  夏の雲(呆悦)

人口8千万人時代の農地の維持


f:id:tanba-hokkori-noen:20170730002345j:image
  猫の額ほどの農地を減少し続ける村の人口で守るため、どうしたらいいのか。

  今、丹波ほっこり農園が営む村の農事の組織体で熱い議論が始まった。

  先祖代々から受け継いできた農地を老体にムチを打ちながらも守りたい気持ちは農村出身の私からすれば痛いほどわかる。

  彼らには経済的思わくの観点は微塵もない。

  ただただ、農地を現状通りに維持したいのみなのだ。

  一方、国においては、優良農地を集約して、大規模に展開する担い手を育成し、国際競争力を着けさせ収益力のある農業を目指している。

  口では、過疎化が進む集落や非効率な農地が多い山間部の農地め維持していくと言いつつも、二の次の問題と位置付けている。

  まちづくりも同様で、過疎化が激しい山間部の集落は廃村にし、都市部に人口を集め、経費削減を図り、コンパクトシチーを作りたいと多くの自治体が考えているのが本音であろう。

  美しい里山が広がり、清流が村を静かに流れる風景を守ってきたのは、山間部の住民である。

  しかし、カネにならない農村には若者はいなく、農村を維持するマンパワーが絶対的に不足しているのが現状である。

  こんな現状なら無理をして草刈や田んぼを守らなくともいいのではないかと都会育ちの人は思うかも知れないが、村人は単純には割りきれない。

  その理由は昔からの「農民意識」が、そうさせるのである。

  狩人は移動性の民族であり、一方、農民は定着性の民族であり、一旦、住み着き田畑を拓き始めると、その土地を離れようとはしない。

  その結果、土地を守る意識が強くなり、近所に迷惑を掛けてはこの村で暮らして行けないと考える。

  そのため、必死にカネにもならない米を作り、草刈をして土地を守り、美しい農村を維持しようとするのだ。

  これが農村の美意識や保守意識にも繋がっている。

  しかし、過疎高齢、人口減少時代、農村の意識の見直しが必要になっており、それで農事の組織体での原点に立ち返った議論が始まったということだ。

  平安時代の日本の人口は800万人といわれていると記憶しているが、その当時の耕地面積はどれ程であったか想像してみると、今ある山間部の10アール程度の田んぼはたぶん皆無であった思う。

  そうしたら、今後、日本の人口は8000万人時代を迎え、それに必要な耕地面積を確保し、あとは山に戻して里山の稜線を麓に戻していくという決断をしていかざるを得ないと考える。

  猪も鹿も熊も、どうぞ麓のところまで来てもいいですよということになる。

  また、行政の維持経費も削減できるであろう。

  日本人口が最大値時代の1.2億人からあと50年後には、4分の3の8000万人になると予想されている。

  その人口の食料を確保するためには、山間部の田んぼを山に戻しても仕方ないと肩肘を張らずに考え直す時期に来ていると思う。

  村人に発想の転換ができるが鍵になる。

  現に、真に喜んでその土地で生活し、耕作している暮らしをしている人の暮らしには留意が必要なことはいうまでもないが。

  蝉時雨や  蝉時雨より 聞こえなし(呆悦)

 

農村の自然芸術作品No.3


f:id:tanba-hokkori-noen:20170722193814j:image

今年の夏は地域によっては、局地的なゲリラ豪雨で各地に災害がでています。

一方、地域によっては雨不足で、旱魃を危惧するむきもあります。

ところで、所得格差も有るところには有り余り、無いところには惨めな形で干上がる異常な事態になっています。

余談はさておきまして、葡萄にとっても今が水が必要です。

先週末、三日間連続で短時間雨が有って以来、雨は降っていないため、水やりが必要です。

山の谷川から水をパイプを引き水を頂いていますが、点検で谷川に行くと何と毒々しい色したキノコが切株のところに出ています。

見ようによっては美しい色にも見えます。

この色も農村の自然芸術作品です。