身心脱落
施餓鬼という供養が先日、地元のお寺でありました。
曹洞宗の禅寺です。
この供養の始まる前にこんな掛軸を見つけました。
「身心脱落」と揮毫されています。
夏の暑さにまいり、身体も心も疲れて力がなくなったことのように解釈しそうですが、後で調べたところ、曹洞宗の開祖 道元法師が語られた言葉のようです。
この世の中、人びとは煩悩にとりつかれていて、なかなかその煩悩から逃れられません。
他人を羨望したり、他人とむやみに競争したり、他人を非難したりばかりです。
その煩悩を逃れられない訳は自分に自信が持てないからなのではないでしょうか。
それゆえに他人と比較してしまうのです。
他人と比較せず、自分自身の昨日と比較して
一日一日、成長している自分を確認するのことが第一歩と考えますが、これがなかなかできません。
道元法師は、これよりも先の心身ともに全ての煩悩から解脱(脱落)すること、すなわち自己を忘れ去ることが必要と。
自己を忘れ気分が清々しく晴れ渡るためには、道元法師は座禅によるべきと。
現代の日常生活で長時間の座禅はできません。
当面、この夏は昼間の暑さと労働の疲れから、座禅の替わりに睡眠で煩悩から解脱したいと考えていますが、道元法師にお叱りを受けるかもしれません。
秋空を 墨流し雲 覆いたり(呆悦)