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丹波ほっこり農園

三和ぶどう、野菜、養蜂、加工食品

実用的な樹

  風が吹くとパタパタと音を立てる棕櫚の葉。その下に咲く花はグロテスクな形をしています。

  まるで「粟おこし」のような呈をしています。

  棕櫚は、田舎の農家の庭先には植わっていることが多く、成長が遅く寿命が長いため、以前に古老から「隣地との境界線の目印に植えられていた」と聞いたことがあります。

  樹自体は美しくもないが、田舎では実に実用的な植物なのです。

  葉は裂くと紐として活用でき、幹の表皮は糸状態なので縄や箒に加工し、よく使いました。

  今は工業製品にとって変わりましたが、田舎の自然のものを上手く活用する術は学ぶところが多いのです。

  街中の子どもにはイメージできないことが田舎では小さい時から自然のものを上手く活用する体験ができる魅力があります。

 

  人知れず  咲き誇るかな  棕櫚の花  (呆悦)
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農村の「士農工商」意識

   久しぶり聞く「士農工商」の話しです。

   江戸時代はこのランクの意識付けで庶民を統治してきたところですが、現在の「農」すなわち農民の意識について考えてみたいと思います。

   ほとんどが零細農家の山間農村においては、今も農家(兼業農家を含む。)には、この「士農工商」意識が連綿と続いていると感じています。

   もちろん、現在は「士」は存在しないので、「農工商」について論ずることになります。

   まず、「農」の中でも農業知識と一定の農地を持ち、毎年、一定の収穫量を確保している農民は篤農家として村中から尊敬の念で崇められています。収穫した農作物は派手に宣伝して売りません。静かに一定の昔からの取引先に出します。

   次に「工」は昔でいえば、鍛冶屋さんや大工さんなどの職人。今では工務店あたりでしょう。農民を対象に農具の修理や家普請をします。これも派手な宣伝はせず、静かに仕事をとってきます。この人達は農民のために仕事してくれますので、二番に高い地位にあります。

   そして、最下位の評価が「商」であります。すなわち、商いをする人を低く見るというより、農民は商売人を毛嫌いするのです。

    江戸幕府の統治政策は意図的に身分制度を導入し、庶民に意識付けをしてきましたが、それとは別次元で農民の肌感覚としての評価基準があったのです。

   では、商売人を毛嫌いする理由はなんなのだろうか。

   農民はその農村において毎日、コツコツと泥まみれになりながら働き、少ない稼ぎをしています。

   一方、商売人は、農村からまちにこぎれいな格好をし出掛け、口八丁手八丁で商品を動かし大きな額の取引をする。ときには、派手な宣伝をして人を呼び込み静かな農村が騒がしくなる。

   山間地の農村の自然のなかでは、地道にコツコツが一番重要な要素と考えられてきました。

  その中で、このような商売人の生き方自体が農民の肌に合わないと感じるようになり、商売人を毛嫌いするようになったのでしょう。人生観が百八十度違うのです。

   この綿々と続く意識の中で、農村で石を加工、販売する株式会社の農業事業部門の「丹波ほっこり農園」は、村人からは醒めた目で見られているのは、昔からの村意識からすれば当然です。

   当園としては、そんな社会の中で地域と共生しながら、株式会社の一部門としては、利益を上げなければなりません。

  当園は、今度とも、この昔からの因習めいた意識社会に一石を投じて新しい農村づくりを目指すとともに、あせらず地道に農業を営み地域に理解を得ていく努力も続けていくつもりです。

   なお、株式会社が農業参入を長い間認めて来なかったのは、今までお話ししました農村の「士農工商」意識社会があったからが、一番の理由ではなかろうかと思っています。

    方言や  長老達の  春会合(呆悦)


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赤子の魂

  葡萄園の草刈りで赤ちゃん二匹が住む草の巣を発見。

   何の赤ちゃんか分からないが、哺乳類なのでしょう。

   ブドウを食い散らかすアライグマかハクビシンかそれとも野ネズミか。生かすべきか手を下すべきかと悩みました。(ちなみに去年は害鳥の巣を発見し悩みました。)

   世の中では人間同士の殺人事件があとを絶ちません。人間でなくてもこんな赤子を殺すには気が引けます。

   悩んだ末、藁で覆い葡萄園の外の草叢に戻しました。

   結果としては、当園の被害が増えるかも知れませんが仕方ありません。

   命の深い尊さの前には手を下すことはできませんでした。

    微動する  赤子のいのち  春の園(呆悦)

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桃栗三年柿八年

去年、植え付けた栗園の草刈りに行きました。

  去年の秋は忙しくて、栗園の草刈りが随分と遅れて、栗の幹よりも草の幹のほうが太くなり、草刈りが大変な作業になりました。

  そのため、栗の成長があまり進んでいません。今年はその反省に立ち、早い目に草刈りに取り組んでいく予定です。

  約30aの休耕田を利用して約50本のポロタンという品種を植え付け全て根付いています。

  ポロタンは渋皮が簡単に剥けるため、消費者の皆さんに喜ばれている新種の栗です。

  丹波ほっこり農園では「桃栗三年柿八年」といわれるとおり、来年から「丹波栗」として出荷できるように栗栽培にも取り組んでいます。

  丹波ブランドのひとつの栗も生産者の高齢化と減少で出荷量が年々減少しています。

  休耕田利用とポロタンという比較的新しい品種で起死回生に生産量を上げようとする京都府などの取り組みに呼応し、当園は葡萄と並ぶ主力産品としていきたいと思っています。

  丹波ブランド産品を守り育て上げることが当園の使命と思っています。

  皆さんの手元に届くまでもうしばらくお待ちくださいませ。

   苦節語る  老婆の笑顔  風薫る(呆悦)
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田舎の人工美

この季節、田植えの代掻きの後、水を張った水田に廻りの風景が映る様子はえもいわれぬ美しさがあります。

苗を植えた後の様子や稲が青々と育っている様子、稲が黄金色になり頭を垂れている様子もそれぞれ季節ごとの趣きがあります。

しかし、やはり水田に水張りをした状態が一番好きな美しい風景です。

真新しい白いキャンパスに筆を入れようとする瞬間にも似た張りつめた緊張感のある美しさです。

水田の水面はまるで大きな鏡のようです。まさに百姓の芸術的作業のひとつです。

田舎にはこんな人工美もあるのです。

代掻きの  水面に映る  山の影(呆悦)


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過疎の象徴の花

丹波地方は過疎化が激しい。

その象徴の花として、今、盛りを迎えている藤が美しい。その薄紫色の淡さが奥ゆかしささえ?も感じます。

しかし、この藤が、一旦、はびこむと山は荒れ樹木も育ちません。

それゆえに、私は「過疎の象徴の花」と呼んでいます。

人が手入れし、藤棚にすれば、さらに美しいのですが、放置された藤を見るたびに寂しさを感じる今日この頃です。

 

藤棚の  蔭に昼寝の  羽音かな(呆悦)

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燕の巣と蜂の巣

軒下に燕が農繁期の田んぼから泥や枯れ草を運び込み巣づくりをする光景をよく目にします。

また、クマバチやアシナガバチの巣も見かけます。

燕は人に危害を与えることもないので、寛大に子づくりをする拠点の巣の毎日の工事進捗を暖かく見守ります。燕の落とす糞で壁を汚なくされてもです。

一方、アシナガバチは刺激を与えると人に攻撃を加えるため、少し危険を犯しても巣を排除しようとする人が多いのです。

しかし、同じ蜂でもスズメバチの巣が造営する家はカネが貯まるとの謂れから取り除かずに黙視する人がいます。

それぞれ人間の利になるか、害になるかの判断で対処の仕方が「見守り」、「排除」、「黙視」の三様なのです。

それにしても燕の巣づくりには珍しく損得なしに寛容なのです。人々は、燕は幸せを運ぶ渡り鳥と考えられているのかもしれません。

 

巣づくりや  お腹を支え  ひと休み(呆悦)


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