生きた化石の下で
お仕事の疲れと夏枯れにも似た暑さでネタが出なくて、ブログの休刊日です。
緑蔭に 一休みひと休みかな(呆悦)
農村のもてなし
昨日は、いい天気に恵まれて、村総出の草刈りと自宅回りの草刈り、草引き、芝の手入れの草に関する一日でした。
農村の訪問するお客様の最高のもてなしは、迎える家の回りの草刈りや草引きが滞りなくできていていることだと昔、聞いたことがあります。
確かに、家の周囲が草刈りができていて、片付いている様は清々しさを覚えます。
立派な料理などよりも、草の処理ができている庭が見える縁側で番茶一杯のもてなしが最高に思えます。
草引きの 時忘れ陽の 傾きぬ(呆悦)
バイク花シリーズ3~シャガの里~
昨日は、福井県との境にある水源の里、綾部の老富町市茅野のシャガの群生地をバイクで訪ねました。
花自体はそう派手ではないが、群生している杉木立に咲く雰囲気は白い絨毯のように見えます。
もう盛りを過ぎていましたが、水源の里に似合う風情があります。
数年前に間伐をしたら、自生していたシャガが大量に増えたようで、適度な陽の光りと水分による効果の賜物です。
訪れる人も多く、ひとつの観光スポットになっています。
無理に地域振興の拠点を新たに作るのではなく、地域に根付く資源を見つめ直し、その地域の環境条件にあったものを伸ばし、育てていくことの再確認しました。
上林地域は以前に何回も訪れましたが、自然を生かした環境観光が静かに盛り上がって来ているようです。
それにしても昨日は冬のような寒さ、綾部温泉の仁王の湯がありがたいことありがたいことでした。
シャガの里 神秘の水に 光り差す(呆悦)
「丹波」のブランド
「丹波」と聞けば松茸、黒豆、小豆、栗の名品が挙げられます。
一昨日は丹波黒豆をひとつひとつ豆の向きを確認しながらポットに播きました。
約1800ポットの苗をこれから育てます。結構、根気のいる仕事です。
9月の中旬には枝豆として、当園が国道9号沿いに開設するの仮設直売所で販売予定です。
ところで「丹波」のブランドは地元より首都圏や京阪神の方がありがたさがあり、「丹波」の名前がつく産品は高値の取引となります。
松茸をはじめ丹波産品が過疎高齢化などで生産量が落ちていますが、地元のみなさんがあまり「丹波」産を意識していないのが気になります。
「京野菜」は京都ブランド野菜として全国に販売を拡大しました。
この地域は丹波であり京都府でありますから、二つのブランドで勝負できる訳です。
全国的には「丹波」は兵庫県だけだと思われているのではないでしょうか。
「兵庫丹波」と一緒に大きく「丹波ブランド」をもう一度見直し、発信してほしいと「丹波ほっこり農園」としては思っています。
そうすれば、生産が拡大しおいしい「丹波産品」が食卓を賑やかせるでしょう。
アザミ花 咲く丹波路や バス過ぐる(呆悦)
大人の成長
近所の竹やぶの筍が日に日に成長して若竹になりつつあります。
毎日、葡萄園に通り掛けに筍を見てみると日に日にすくすくと成長しているのがわかります。
竹の成長は一日に1mも伸びる場合もあるといわれています。
竹は筍の時から節の数は既にあり、若竹として伸びる時は、節間が伸びるようです。
竹にしても人間にしても若い時は成長が早く、その成長の跡が見えますが、大人や老人になると成長は見えないだけでなく、むしろ衰えしか目立ちません。
しかし、成長というのは目に見えるものだけでなく、当然、内面も含まれます。
若い時に築き上げてきたことを老人になっても日々、質的に充実していくことは可能ではないでしょうか。
老後の質的な充実をしていくのには、豊かな経験を糧にして新たな生き方を模索し実践することでしょう。
後ろ向きに考えると外向きも内向きも成長は止まり老けてしまいます。
五月晴れ 天まで届け 子らの声(呆悦)
赤ワインで乾杯?
朝から葡萄園で赤ワインで乾杯です。
と言いたいですが、葡萄の種無しにするホルモン液剤(ジベレリン)処理です。
ひと房毎にこの液剤に浸していきます。
この作業を二週間後にもう一度行います。
また、葡萄の品種により、花穂の開花前か開花後か、浸す液の濃度も違います。
一昨日と昨日の二日間、都合、二人掛りで8000房のジベレリンが完了しまいました。
成長促進の効果もあるので、房を見落としてしまいますと房が大きくなりません。
ベトナムの実務研修生が「あれを大きくするため、浸けたらどうなりますか?」と笑いながら聞きます。
「なんでも、ものの大小じゃなく、セイノウ(性能)の問題だ。」と答えると笑いながら、うなずき仕事を再開しました。
万緑の 渇き潤す 恵み雨(呆悦)
人生を語る掌
農業に従事して早くも三年目になりました。
毎日、土や草に触るのでよく見ると指先の指紋には土色の染みが刷り込まれ、掌全体が
ゴツゴツとした逞しい雰囲気になってきました。正直言って汚いなぁと思います。以前はペンダコで中指の先が盛り上がっていて、わりと綺麗な掌でした。
先日、ある同年輩の男の人と握手をする機会がありましたが、なんと柔らかいものだなぁと感じました。
半世紀も同じ仕事をしていると、この人は営業マン、この人は大工さん、この人は公務員とか、握手をしただけでその人の職業がわかることもあるのではないでしょうか。
それに加えて顔つきをみれば、より確実になります。
それだけ顔と掌は人生そのものを語っているのではないでしょうか。
顔の形状は不細工と言われようと、顔の表情と掌に自信をもって、これからも農業に従事していきたいと思います。
しかし、美しい女性に握手を求められたら、ほんの少しだけ躊躇する自分を想像します。
しわがれの わが掌に 夏陽落つ (呆悦)