欅坂365の春光
早朝の冷え込みは相変わらずです。
しかし、朝の光が差す時間には真っ青な空に欅の枝が天に伸びる様は美しい。
春はうす緑の若葉。夏は木蔭の深い緑葉。秋は黄赤の紅葉。
葡萄園の脇に季節ごとに表情を変えて聳える欅の息づく坂を私は「欅坂365」と呼んでいます。
春を待つ けやきの上に 空高し(呆悦)
極寒の美
軒下に雨水を垂らす鎖を伝い雪融け水が流れ落ちますが、早朝の冷え込みでその水が鎖に凍り付いています。
宝石のネックレスのような極寒の芸術作品です。
来週までの寒さの先には春の萌しになることを期待して今日も仕事に刻苦精励します。
残雪に 陽光受けて 眩しけり(呆悦)
お祈りと微笑みの国
週初めにタイ・バンコクに会社の社員研修旅行に出かけてきました。
真冬の東南アジアへの旅行とあって服装に苦労します。日本との温度差は30℃以上もあります。
東南アジアは始めての旅行なので、私の知識はニュースでの見聞のみでしたので、その発展は想像がつきませんでした。
実際に見た戦後70年を経た、その発展は目を見張るものがありました。
社会資本の道路、鉄道なども充実しており、生活水準も向上しているように見えます。
しかし、昔から変わっていないと思われるのは、仏教を中心とした宗教心の深さと「微笑みの国」といわれるように笑顔を絶やさない対応です。
市民のお布施で維持される寺院の数に驚かされますし、新しい寺院も新設されているようです。
バンコクの街中は今や車とバイクが多く、ラッシュ時には渋滞が発生しています。
こんなとき中国のようにクラクションを鳴らしたり、怒鳴りあうようなアクシデントは滞在期間中、見ることはありませんでした。
車はトヨタ車をはじめとする日本車が、バイクはホンダが殆どで、コンビニはセブンイレブンとファミリーマートと日本の文化が浸透していてタイ独自さが薄れ、日本人の観光客にとっては面白さ欠けます。
街は日本を真似るように近代化されていますけが、街に暮らす人達は宗教心と微笑みを忘れない平穏な暮らしを続けていることにひと安心。
旅行客の私たちもその対応に穏やかな心が拡がり、自然とまた行きたい国・タイになるのかも知れません。
ただ、街中には日本より更に貧富の差が拡大している様子を垣間見られるスラム街もあります。
次回、行く時にはタイ独自の文化が残るであろう田舎の地方に足を伸ばしたいと思っています。
コップッ・カップ・タイ!
111111の意味するもの
うっすらと雪景色の今日の朝、いつもの通り軽トラに乗り込みました。
何とはなしにハンドルの下の走行距離メータを覗きこむと、なんと「111111」と表示されているではないか。
今日はいいことがあるかも知れないとひとりで薄ら笑い。
しかし、一日を終えても特別にいいこともなければ、変わったことや悪いこともありません。
この軽トラに乗るようになったのは3年近く前のことです。
その時のメータの数字は6万キロ近くの数字であったと記憶しています。
その時から今日まで5万キロ超を走ったことになります。
この間、事故もなく健康で元気に軽トラに乗り込み、仕事ができたことにただただ感謝します。
今日の6桁のゾロ目はラッキーなことの知らせではなく、この間の無事故を祝ってくれ、「1」から始まる新たな「普段の暮らし」のスタートを示してくれるサインだったのかも知れません。
湯けむりや 岩壁越しの 湯がけ音 (呆悦)
黒豆を「扱く(こく)」
おせち料理に欠かせない黒豆。
年末に出荷するために作業に入りました。
枝に付いた豆を落とすために、無数の掛が取り付けてある木製のドラムを足で踏んで回転させ穀物を扱く(こ)く「イナコキ機」(写真左)を使います。
そして、鞘と一緒になった豆を選り分けるために、板でできたファンの如しを手で回し、鞘やごみは吹き飛ばし、黒豆だけをトレイに落とすふるい機能の「唐箕(とうみ)」(写真右)を使います。
いずれも人力農具で、骨董品クラスの代物です。
近所の農家の蔵に保管されていたものを拝借されてもらいました。
人力なので時間と労力は掛かりますが、懐かしさで疲れを忘れさせてくれます。
昭和40年代まではどこの農家にもなくてはならない必須のアイテムでした。農繁期には家族総出でイナコキやマメコキをしたものでした。
この作業で選別された黒豆を次に、くず豆を取り除く作業をして、大きさを揃えてやっと出荷できます。
大規模農家では全て近代的な農業機械で処理しますが、全ての作業を木製の農具でこなすことによって、何となく温もりがあり、やさしい味のある商品になるのではないかと思っています。
正月には、丹波ほっこり農園の丹波の黒豆をご賞味頂き、元気に暮らせる新年にしていただけるよう年末まで作業に励みます。
極月や 豆をこく間に 雪積り (呆悦)
般若心経の写経
株式会社横田石材(丹波ほっこり農園の母体)の朝は、般若心経を従業員全員で唱えることから始まります。
本業がお墓の仕事をはじめとする石材業のため、朝一番に般若心経を唱和して煩悩を振り払い清清しい気持ちで仕事に臨みましょうとする意図から始まったのでしょう。
280字の短いお経ですが毎日、有り難く唱えることで詳しい意味合いは分かりませんが、何となくお釈迦様が唱えられた意図らしきところが浮かんできます。
毎日、唱えていれば、暗記してしまいますが、どんな漢字で表現されていたのかは忘れかけます。そこで、暇な夜に写経をすることにしました。
写経は何十年振りの経験でしたが、書いてるうちに、なんだか心がすっうと鎮まるのを覚えました。
不思議な経験です。
漢字表記はサンスクリット(梵字)を表音で漢語に訳していますので、意味が分からない漢字もありますが、ざっくりいえば「無」の境地の世界に導いてくれるお経なのでしょう。
先日のブログでギンナン20個を食べた時の体の変調を報告いたしましたが、あの時のような煩悩があってはならないのです。
あくまでも「無」の境地。しかし、この境地まであと20年はかかりそうです。
煩悩の多き六十代です。
筆下ろす 霜深々と 野を染めし(呆悦)