薪ストーブの季節
農村の初秋は冷え込みます。
11月迄は暖房なしで暮らそうと思っていましたが、台風が過ぎ去り、あまりの冷え込みで今晩から薪ストーブに火を入れました。
やはり薪ストーブは暖かい。
農村での唯一の贅沢です。
室内は裸でも過ごせるし、洗濯物は室内でも翌朝にはカラカラに乾き、煮炊きものものでき、栗やサツマイモは振り込んでおけば上手く焼けます。
さらに、窓ガラスには結露ができません。
そういえど、良いことばかりではありません。
薪は1シーズン軽トラ2台分は要ります。
玉伐り、薪割りの労働や薪小屋から毎日、取り入れ、灰の始末も必要。
また、一時間ごとに薪をくべなければなりません。
薪を買うとなれば、枝豆の一束位の大きさで500円ぐらいはかかるでしょう。
そんなことを考えると農山村でないと薪ストーブは使えないでしょう。
農村の夜は静かに更けていきます。
そんな深い夜にストーブの中で薪がめらめらと燃え行く風景を見ていると時の経つのも忘れます。
薪ストーブは自然エネルギーの活用の一つですが、太陽光発電、小型水力発電、風力発電、溜め込みトイレのメタンガス利用など
自然との共生の生活の営みに一つ一つ挑戦してみたいと夢見る初老の農夫です。
初ストーブ 時計の針は はや30度(呆悦)
国道で見る生活実感
丹波黒豆の枝豆直販所を構えて約2週間。毎日、国道9号線を通過する車輌を観察していると、次の傾向があると感じています。
○ 京都縦貫道が貫通したものの交通量は去年に比べて増加している。(高速道路料金はバカにならない。)
○乗用車、トラックも増えている。カニなどを載せた境港などの冷凍トラックは殆ど見かけなくなった。(高価なものを運ぶトラックは高速道路で大阪に行くようになったのか。)
○トラックは超大型化している。乗用車は商用車が多い。(トラックは人材不足で効率的運送のため、大型化しているのか。
商用車の増加は福知山などに営業所を置いていたのを廃止し、大阪や京都から日帰りで営業や点検に来ている。)
○普通車や軽自動車で遠方に出かける高齢者が多い。(時間に余裕のある高齢者夫婦の旅行)
○枝豆を買ってくれる運転手の購買単位が去年より少ない。(去年は会社に持って帰ると言って20束程度買ってくれるケースがよくあったが、今年は殆どない。)
以上の簡単な国道の通過状況分析で、生活者や労働者の勤務の実態が浮かび上がってきます。
結論からいえば、政府は景気回復してきたというが、生活実感はまだまだということでしょうか。
秋雨に 懐も気も 寒々や(呆悦)
台風の爪痕と生活の痕跡
秋雨前線が数日前から横たわり、毎日雨降りが続き、それに加えて超大型の台風21号の襲来で48時間も止むときを知らず降り続く状態。
こんな気象では雨が集積する河川が氾濫しても不思議ではありません。
災害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
台風の強風も吹き荒れ、村の木々の枝は折れ、農業倉庫の倒壊などの被害がありましたが、幸いにも大きな災害はありませんでした。
ところで、丹波黒豆の枝豆直販所の近くに昔の電信柱を発見しました。
今は使われなくなった木製のものです。
なんと私が生まれた翌年、今から62年前に立てられた電信柱です。
防腐措置が施されているとはいえ、国道の拡幅や風雨にさらされながらも未だにしっかりと立ちずんでいます。
木製の電信柱は子供の頃、いたずらに掛け登ったたり懐かしい思い出があります。
台風の脅威を再認識するとともに、村のライフラインを支えた電信柱に感謝と畏敬の念を覚えました。
すすき吹く 電柱の傷口 色黒し(呆悦)
村の情報発信屋台の完成
「スーパー/コンビニ空白地帯14km」の解消を目指したい話(2017.5.1ブログ)をしましたが、「村営オワシス百貨店」の第一歩となる野菜直販の屋台が完成しました。
村の長老の大工さんのおじさんに材料費だけで手間賃はボランティアで造っていただきました。
おじさんには感謝感激です。
プロの大工さんの仕事だけに立派な仕上がりです。
昨日から早速、丹波黒豆の枝豆を直販しています。
商品を置く棚の下には大人二人が昼寝できる位の物置きスペースも完備しています。
この屋台の造作については、村の農事の役員会で村の野菜直販所の設置を提案しましたが、時期尚早的な意見がありました。
そうすれば、丹波ほっこり農園が屋台を造り枝豆や野菜を販売し、村の有志も出荷すること可として実績を作っていくことになった経過があります。
村の評判はまだ聞きませんが、何はともあれ屋台の完成が第一歩として村のオアシスの礎が出来たことはうれしいものです。
なお、土台にはコロが付いており、移動することも可能で、手を加えれば赤提灯を提げ、おでんかラーメンをなども提供できます。また、イベントにも出店できます。
何れにしても色々な形で村のオアシスになることは確かでしょう。
夜冷えや 遠くチャルメラ 微かなり(呆悦)
握手の効用
衆議院選挙を次の日曜日に迫り、過疎地の村にも選挙カーがやって来ます。
こんな過疎地に来ても多くの票には繋がらないだろうなと思って、手を止めずに仕事を続けていました。
すると、候補者が選挙カーから降りて来て膝まづき話しかけてきます。
折角などで、この地域事情や農業、農村のことなど15分間程度、話をしました。
最後に私から「当選しても落選しても、枝豆が好きだったら来週にも枝豆買いに来てや。」と告げると候補者はハイと言って握手を求めてきました。
私は枝豆の揃えの仕事で手が汚れているため躊躇していました。
「いやぁ、手が汚ないので。」と断るも握手を求めるので応じました。
久しぶりに握手という行為をしました。
2年半前に前の職場を定年退職した際に沢山の人と握手して以来のことで緊張しました。
掌(たなごころ)は粘膜質の皮膚です。
仮に手の甲のような皮膚で握手をするのであれば、たぶん握手という行為は存在しなかったでしょう。
また、仮に唇が頬と同じような皮膚であったらキスという行為は存在しなかったでしょう。
選挙の時や政治家は握手を有権者に求めます。
掌が粘膜質であるから、握手はその人の気持ちや体調が伝わります。
それゆえ、握手は相手との距離感をグッと引き寄せる行為であること政治家は知っているのです。
また、政治家の多くは権力を掌(て)にするためには掌(てのひら)を返すこともすんなりとすることができるのです。
そんな握手の効用や掌を再認識する機会になりました。
秋雨の 合間に漂う 燻べ雲(呆悦)
枝豆の販売開始
雨続きの鬱陶しい天候が続きます。今日は少し晴れ間が覗いてくれました。
その晴れ間の隙に国道9号線の脇に丹波黒豆の枝豆の直販所を設置し、販売を開始しました。
5月の末に播種しましたが、4ヶ月半が過ぎ、やっと食べ頃になりました。
食べ方はシンプルに塩茹でが一番だと思います。
シンプルな食べ方が合う丹波黒豆。
塩もみのあと、熱湯で10分程度茹でるだけ。
野菜のゆで方は「根菜類」は水から茹でますが、枝豆は沸騰した湯に入れ茹でます。
「ゆでカエル理論」という話があります。
熱湯にカエルを入れるとその熱さに気がつき飛び出します。
しかし、水にカエルを入れ徐々に加熱していくとその変化に気がつかずゆで上がってしまうという警鐘を鳴らすものです。
私達の毎日の生活で日々、刻々と目には見えませんが変化している現象があります。
昨日と比べて変化したかと問われれば何も変わっているようには感じられません。
しかし、例えば5年や10年単位でみてみますとその変化に驚かせられるということがあります。
沸騰した湯で茹であがる枝豆を見ながら、先を見透す農村や農業の在りかたを考えていかねばと思いました。
秋雨に 茹で枝豆の 青冴える(呆悦)
小学校の統合と廃止
丹波ほっこり農園のある地域の小学校が平成31年3月末に廃止され、旧町の中央地域で小中一貫校に統合されます。
150年近くの歴史に幕を閉じます。
過疎化と少子化で小学生の数が減少しているので仕方ないことではあるが、母校がなくなるのは、やはり淋しい限りです。
小学校の廃止は地域の活力をさらに減退することは間違いないと思います。
市では統合後の小中学校の施設整備や教育などの在りかたを鋭意検討されているようであるが、廃止される小学校施設をどう地域で活用するのかの議論が殆ど聞こえてこないのは、さらに淋しいです。
行政は統合という新しい枠組みづくりには力を注ぎますが、廃止される施設は忘れがちになる傾向にあることは世の常です。
小学校は子供の教育の場と同時に地域の象徴としての地域コミュニティの中心施設であります。
その跡地を地域で何に使うのかは、過去の地域の小学校の跡地活用事例を検証しても明らかなように「地域力」が現れます。
地域が考えないと行政は考えません。
地域から早い目に地域としてこんな活用をしたいとする意見を市に伝えていくことが必要と思います。
里山に囲まれた自然力を武器にし、ヒト、モノ、カネ、情報が大きく交流できる施設に転換してもらいたいものです。